WORLD_HERITAGE

世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

魂(こころ)の道・祈り

 いにしえの日本人は、遙かなる峰々・豊かな森・断崖絶壁などに畏敬の念を抱き、また水を生み、生命の源と考えた山岳を、神聖な場所として崇めてきました。

中でも大峯山「山上ヶ岳」は、わが国最初の山岳信仰の聖地として1,300年の歴史を刻み、今なお多くの人が山に入り自身を見つめる修行に訪れており、ここ天川村、大峯の山々は少なからず日本人の精神性に影響を与えてきました。

 

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

 奈良県と三重県、和歌山県にまたがる世界遺産で、「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」の3つの霊場と、それらを結ぶ「大峯奥駈道」「熊野参詣道小辺路・中辺路・大辺路・伊勢路」「高野山町石道」の参詣道が含まれます。このうち、天川村には霊場「大峰山寺」と「大峯奥駈道」の一部が所在します。

 紀伊山地は、標高1,000~2,000m級の山脈が縦横に走り、豊かな降水量が深い森林を育む山岳地帯です。太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀の仏教伝来以降、真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。特に、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的に10~11世紀に成立した修験道は、山上ヶ岳の大峰山寺が発祥の地とされています。また9~10世紀に「神仏習合」思想の聖地として信仰を集め、10~11世紀頃の「末法思想」の流行で都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、霊場としての性質が一層強まりました。この地方の精神性は深い山々が南の海に迫る独特の地形が大きく影響していたと考えられ、古来より脈々と受け継がれてきた祈りとそれを育んだ自然環境の融合が今なお残ることから、世界遺産に認められました。

 

大峯奥駈道 

 修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が8世紀初めに開いたとされる修行の道です。吉野から熊野までの約170キロの道程は、山上ヶ岳や弥山、八経ヶ岳など標高2,000m近い山々の尾根をたどる、修験道の中でも最も過酷で厳しい修行です。この行は奥駈修行と呼ばれ、大峯七十五靡き(なびき)と呼ばれる拝所・霊所を巡拝しながら急峻な山々を歩きます。

山脈を仏法で云う金剛界(吉野側)と胎蔵界(熊野側)に見立て、巡拝しながら擬死再生を行う場とされています。

 

山に入る

 自然崇拝と神道や仏教などが融和し、深山幽谷に分け入って修行することによって神秘的な力を得、自他の救済を目指そうとする信仰が「修行して験力を顕す道」=修験道です。

 役行者(えんのぎょうじゃ)は聖なる山野に伏して修行に励み、金剛蔵王大権現を感得しました。その山こそ、霊峰・大峯山(山上ヶ岳)です。修験道の根本道場として1300年以上の歴史を刻み、今な多くの人が自己を見つめ直し、魂を再生させるため、山に入ります。