天川村で暮らそう!〜新しいふるさとの作り方〜 奈良県天川村 定住促進サイト

リアルボイス

実際に住んでいる方にインタビューを行いました

岡田悦雄

先人の精神性や生き方に関心を持とう

大峯山龍泉寺 住職岡田悦雄さん(51歳)

天川村出身。1987年進学のため村を離れ、大学卒業後も会社員として5年間村外で過ごす。2000年醍醐寺伝法学院を卒業し、大峯山龍泉寺へ帰山。2002年大峯山龍泉寺住職。2004年晋山式執行。霊峰大峯山山頂に建つ大峰山寺の護持院であり、かつ修験道の根本道場として多くの修行者を迎える大峯山龍泉寺を守り続けている。

天川村、特に聖地であり、大峯山龍泉寺がある洞川にはどのような風土・気風がありますか?

そうですね、天川村は歴史を大事にしているところです。特に洞川は霊峰大峯山のふもとにあり、天とつながる霊地・聖地という意識があると思います。

私が子どもの時分は、村までの道が未舗装で、対向するのも難しく、それでも一生懸命にここまでたどり着いてくださる方々がたくさんいて、その気持ちを思うと、ありがたいなぁと。そういう方々をお迎えして、もてなして、大峯山に案内して、無事に帰ってきてと祈る気持ちが、村の人々のDNAに連綿と引き継がれていると思います。

生活の面で言えば、「地域密着」が特徴でしょうか。行事や祭礼はもちろん、普段から隣の家のことも自分の家のことのように助け合うし、何かあったらすぐに駆けつける。そういう気持ちをお互いに持っていることはありがたいと思っています。

いつも他の人のことに関わっているのかというと、もちろんそんなことはありません。皆さん、それなりに自分の時間をつくって、思い思いの活動をしています。

物質的には住みにくさがあるかもしれませんが、癒しとか安心感とか、そのようなことが精神的な住み心地の良さになっている。天川村はそういう村ですね。

岡田悦雄
岡田悦雄

天川村の過去と現在、どのような変化をお感じですか?

私は中学卒業後、高校進学のために村を離れました。大学と5年間の会社員生活も村外で生活し、村には年数回帰省するだけでした。さみしいと思ったり、天川に帰りたいと思ったりしたこともありましたが、自分の生活で精いっぱいで、また村を出た当初は帰山して住職になることは決まっておらず、特別な思いはなかったように思います。

実際に村へ帰ってくると、交通や買い物、医療などの面でやっぱり不便だなと感じましたが、そうか、これが天川村なんだ、これでいいんだと思ったのも事実です。暮らしは便利になってほしいですが、一方で不便を感じられる村でもあってほしいと、少々矛盾しますが、そう思っています。

変化というと、現代の多くの地方がそうであるように、若者・子どもが少なくなりました。私が子どもの頃は、この寺が子どもたちの遊び場でしたが、今ではそれがありません。私のような50歳代でも“若手”と言われ、地域の諸活動や行事の担い手である期間が長くなっています。次世代にどのタイミングでどのように継承していくかが地域の課題です。

岡田悦雄

岡田住職がお感じになる天川村の魅力や好きなところを教えてください。

洞川の象徴でもある水の恵みはお山から来ます。私たちが生かされているのは、お山あってこそだと感謝をささげる気持ちを昔の人はよく知っていました。お山への感謝を伝えることは、修験道の根本なのです。

そういう意味で、私が感じる天川村の良さはお山に関係しています。大峯山の山頂の一端に「日本岩」という場所があります。そこに立つと、洞川が見下ろせますし、何よりも山と一体になれる感覚に包まれます。

また、大峯山龍泉寺の龍王の瀧行場も、大峯山がきれいに見えます。特に冠雪期の晴天の日の夕方、神聖で神々しいお山の姿を見ることができます。

今、冠雪期と申し上げましたが、雪が降り積もった冬、厳しい季節こそ、天川村は本当にきれいな景色を見せてくれると思います。春、夏、秋ももちろんすばらしいですが、観光に来られるのではなく、移住する、暮らすという意味では、厳しい冬でなければわからない天川村の本当の良さというものがあるように思います。

岡田悦雄
岡田悦雄

天川村に興味を持っていただいている方へのメッセージをお願いします。

天川村に興味をお持ちになり、好きになっていただけることはたいへんうれしいことですが、住むとなると責任も生じます。村で暮らそうというのであれば、いろいろな場所、場面に顔を出すようにしてほしいと思います。実際に暮らし始めると、そうしておく方が楽だと思います。

先ほども話しましたが、お山からの恵み、それに生かされていること、先人たちが感謝をささげて生きてきたことなどに、関心を持って来ていただきたいですね。

大峯山に向かう修行者の皆さんへのおもてなしは、村の人々の感謝の気持ちの表れです。天川村の人々はそれをずっと持ち続けています。そうしたことにも意識を向けて、来ていただきたいと思っています。

岡田悦雄
植村 正和

移住を成功させる3つのポイント

猟師植村 正和さん(67歳)

天川村出身。1979年1月天川村役場入職(診療所、住民課、総務課、企画課、健康対策課、地域政策課)、2014年9月天川村役場退職。農林業に取り組むほか、20代で取得した狩猟免許をいかして、有害鳥獣駆除にあたる。2016年9月に奥吉野猪鹿食肉処理施設「B&D工房」を設立。狩猟期間に捕獲した猪や鹿をジビエ肉として販売している。

天川村役場をご退職されて約8年、現在の暮らし方や働き方についてお話し願えますか。

22歳の頃だったと思いますが、狩猟免許を取りました。趣味程度に休日等に狩猟をしていたのですが、退職後は、毎年11月15日から3月15日の狩猟期間のほぼ毎日出猟しています。

近年、天川村でもイノシシやシカ等による農作物等への被害が拡大し、その対策として、防護柵の設置や有害鳥獣駆除を実施しています。

しかしながら、有害鳥獣駆除で捕獲した獣のほとんどは廃棄されてきました。人間の都合で動物の命を奪って、そのまま廃棄するのは動物の命に対して失礼じゃないかと考え、狩猟で捕獲したイノシシやシカの肉を自宅敷地につくった食肉処理施設で処理して“ジビエ肉”として販売しています。 お陰さまで、「大変美味しい」と食肉の評判も良く、地元はもとより、遠方から買い求めてくださる方も増えてきています。
以前、奈良県の事業でハンター育成事業があり、ある若者を1年半ほど預かり、狩猟技術や食肉の解体・処理を教えたことがあります。 その後、彼は東京から天川村に移住してくれ、結婚し、今では父親です。狩猟だけでは生計を立てるのは難しいので、現在彼は宿泊施設の経営もやっています。

また、狩猟期間外は、自家用の野菜栽培や所有山林の手入れをするほか、土木や森林関係の仕事を頼まれたり、夏はバーベキュー施設でお手伝いをしたりしています。天川村には観光業に携わる人が多くいますが、5月~9月は旅館やキャンプ場では働き手が不足していて、村外の人材に頼っている状況です。

植村 正和
植村 正和

暮らす・働くという観点から、天川村で自分らしく生活するにはどのような意識や行動が必要だとお考えですか?

一番のポイントはやはり「やる気」でしょう。生活の糧を得るためには働かないといけません。受け身になって仕事が来るのを待つのではなく、積極的に働き場所を見つけてほしいと思います。

ハローワークなどにいろいろな求人情報が集まりますが、まずは地域に足を運んで、知人になった人たちを頼りつつ、自らもアンテナを張ってください。村の人から情報をもらえることもあるでしょうし、経験や技術を生かして起業するヒントもあるかもしれません。実際に移住後に起業して、定住している人もいます。

とにかく、自ら動いて、村をよく知り、ネットワークを築いてほしいですね。その人の「やりたい」と村の人々の「やってほしい」がマッチするのがベストではないでしょうか。

植村 正和

出身も就職も天川村というお立場から、天川村のここが好き!という魅力や地域性を教えてください。

村の人はとにかく情が深く、助け合い精神に富んでいて、年齢に関係なく接してくれます。村に住んでいる人か、外から来た人かを区別せず付き合ってくれるでしょう。

環境面で言えば、山や川の大自然、その恵みである名水、古い歴史や文化遺産があります。いい水が湧くところには人や文化が集まります。

交通アクセスは、近年トンネル等の整備により、大型スーパーなどかある商業圏まで40分位で行けるようになりました。 また、生活環境も上下水道の整備・ケーブルテレビの導入・携帯電話の通信対策等、都会と余り変わらない生活が送れます。 天川村で仕事を確保して、安定的な生活が送れるなら、こんなにいいところはありません。私はこの村に生まれ育ったことを誇りに感じていますし、天川村のことをとても大切な場所だと感じてくださる人が増えてほしいと願っています。

また、天川村は「天の国・木の国・川の国」です。紅葉の季節に広瀬集落(※西部エリア)の上方から眺望する風景は、これを象徴する風景で、私が最も気に入っているロケーションです。

それに、四季のメリハリがはっきりしていて、私の場合、春は山菜摘みやアマゴ釣り、夏は鮎釣りや夏シカ猟、秋はキノコ狩りや栗拾い、冬はイノシシ猟・シカ猟や豆腐づくり…を楽しんでいます。天川村で暮らせば、季節ごとに大自然と自分や家族の都合にあわせて存分に楽しめると思いますよ。

植村 正和
植村 正和

天川村や田舎暮らしに興味がある方へ、メッセージをお願いします。

いわゆる都会から地方への移住がブーム化していて、天川村にもここ数年の間に何組かの若い世代が家族で移住してきています。私が役場で働いていた頃から村が取り組んできた、空き家バンクや定住促進住宅の整備、子育て支援の拡充といった施策が少しずつ成果をあげているように感じます。

ただ、田舎暮らしがしてみたい、移住に憧れている―といったイメージ先行で移住してくるのは、ミスマッチや後悔の元です。移住してきても短期間で天川村を離れていく人がいるのも現実です。

私は、①働き場所の確保、②住む家の確保、③地域住民とのコミュニケーションが移住成功のポイントだと思っています。この3つの生活基盤に見通しが立たないと、移住は失敗するかもしれません。移住前から具体的にどうするかを明確に描いておくことが大事でしょう。

いろんな人と話をして、いろんなところに顔を見せてほしいですね。そうすれば、村の人が仕事や生活、子育て、様々なことで何かと世話を焼いてくれます。いい意味でおせっかいな人がたくさんいるので、困ったときの助け合いは心強いと思います。

天川村や田舎暮らしに興味をお持ちになったら、役場の担当者や先輩移住者からよく話を聞き、十分な時間をかけて検討・決断・準備を進めてください。

植村 正和
山端 聡

地域のために!の思いで一般社団法人を設立

一般社団法人
てとわ代表理事
山端 聡さん(44歳)

奈良県出身。大和高田市在住時、介護福祉士を4年務めた後、看護学生に。看護師となり、救命救急看護などに約11年携わった。2017年天川村地域おこし協力隊に応募して移住。第7期介護保険事業計画策定支援や生活支援コーディネーターとして活動した後、2019年「一般社団法人てとわ」を設立。妻・子(小5、小3、小1)と定住促進住宅で暮らす。

天川村への移住の経緯と、移住前後で変化したことを教えてください。

妻と天河大辨財天社で挙式した縁があり、ふたりで「いつかは天川村に移住したいね」と話していました。具体的に考え始めたのは2017年。奈良県内で開催された里山イベントで、天川村に定住促進住宅が建つという情報を聞いたことがきっかけです。

最初に考えたのはやはり仕事のことでした。 当時は大阪の医療機関で看護師として働いていましたが、天川村で看護師が必要な医療機関にはすでに看護師の方がおられ、すぐに働ける場所がない状況でした。

そこで視点を“福祉”に切り替え、地域おこし協力隊として第7期介護保険事業計画の策定支援を行うことになり、また天川村のコミュニティナース(地域看護)の活動も始め、家族で移住することができました。

元々住んでいたところは近所づきあいがあまりない地域だったので、天川村に来た当初は密な近所づきあいに抵抗感もありましたが、お互いさま文化や必要とされているという体験が重なり、地域への愛着へと変化していきました。 今は“地域のために”という意識が強くなっています。

山端 聡

移住するにあたり、どのような不安や苦労がありましたか?

不安が一番大きかったのは、先ほど話した仕事です。 病院で働いていた看護師である私が、地縁のない天川村で、病院とは違った形で活動することへの不安は半年ほど続きました。 介護保険をよく知らない自分が介護計画を策定しなければなりませんでしたし、収入も減って将来の見通しも立ちにくいなという不安もありました。

しかし、周囲との付き合いを続けていくうちに不安は薄らぎ、地域おこし協力隊の活動後に「てとわ」を設立しました。分野や領域を横断して健康づくり・人づくり・地域づくりに取り組んでいて、自由度の高い活動ができているのでやりがいは大きいです。

また、今は隣接する定住促進住宅に、息子と同級生がいるご家族が住んでいますが、私たちが移住してから1年半ほどは我が家がポツンという状態で、生活や仕事、学校のことなどを、どこのだれに尋ねればいいのか、わかりませんでした。

そこで、地区の役員や消防団、山岳救助隊など、自分にできる地域の役割を買って出て担ったり、学校の保護者同士のつながりを広げたりしていきました。今では、どこに行っても顔なじみという関係性があり、居心地がいいですね。

山端 聡
山端 聡

山端さんは3人の男の子のお父さんです。天川村の子育て環境はいかがですか?

子どもたちは移住することで、今まで通っていた幼稚園が変わることを嫌がっていましたが、いざ来てみると、天川村の幼稚園にもすぐになじめました。今は3人とも小学生です。小学校の子ども同士は仲が良く、休みが続くと「学校に行きたい」と恋しくなるようです。

豊かな自然と友だちに囲まれて、3人とも仲良く、好きなように過ごしてくれていて、庭で体験できるキャンプ気分、冬の雪遊びも大好きです。

考えなければならないのは、高校進学と住環境ですね。 天川村には高校がないので、進学するには下宿や寮など、住まいの確保も課題になるだろうと考えています。 また、子どもたちが成長するにつれ、今住んでいる家(定住促進住宅)がだんだんと狭く感じ始めています。

山端 聡
山端 聡

経験を踏まえて、天川村への移住に興味を持っている方へのメッセージをお願いします。

私は、天川村の“顔が見える関係性”が気に入っていて、家に帰るという意識が「村に帰る」という意識に変化してきました。自宅近くの畑で野菜を栽培したり、米づくりをしたり、メダカを飼ったりして、仕事以外の時間も充実しています。

天川村には助け合いの精神が十分に残されています。先ほど、最初は地域に入り込むのに気兼ねしていたと話しましたが、近所づきあいが多くなったことで、他者に関心を持てば居心地が良くなると思えるようになりました。

私が体験したように、天川村のようなへき地の社会システムの基盤が人間関係だということを理解しないと、暮らしの持続は難しいだろうと思います。

移住を考えている方には、イメージしている暮らしや、やりたいことがいろいろとあると思います。ですが、先入観やインターネット情報だけでなく、実際に暮らしている住民との関わりをできるだけ持ってほしいですね。

移住者を受け入れる住民の気持ちも広いので、ここに移住してきた自分たちがいるんですよと認知してもらいながら、自分たちらしい生活を見つけてください。

山端 聡
山端 聡