HISTORY

天川村の歴史

洞川の街並み

天川村は紀伊半島中部に位置し、周囲は大峯山系の山々に囲まれ、谷間の集落は441m~820mの標高にあります。

気温は奈良盆地より3~5度低く、夏は過ごしやすく冬は雪景色を楽しむこともできます。
 また歴史も深く、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験道や、国の政(まつりごと)の中心人物たちと深い関わりをもちつづけた秘められた歴史は、地域の伝承として受け継がれています。

天川村はその地理条件から古くは人々が定住するには至らなかったようです。また神々が生まれ住まう場所とされる高天原に由来する「天の川」という名がこの辺りの河谷に名付けられたという伝承があり、この地域は定住することがはばかられた一種の聖域だったとも考えられています。

このことが、修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、約1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)により大峯開山がなされて以来、山岳修験の根本道場として栄えてきました。
末法思想のひろがる平安時代には、菅原道真や藤原道長をはじめとする権力者から庶民までが熱心に御岳詣(みたけもうで)を行いました。
弘法大師空海との関わりも深く、大峯山で修行した後、高野山へ至ったその道程には、空海にまつわる多くの史跡・伝承が残されています。
南北朝時代には、南朝方の重要な拠点として後醍醐天皇ら南朝天皇を擁護し続け、課役免除の綸旨が残されています。

弥山奥宮

「天川(てんかわ)」の名は、天河大辨財天社の古名「天の安河の宮」に由来するとされています。

大峯連山のひとつ弥山に祀られた弥山大神の歴史もきわめて古く、天河大辨財天社の隆盛とともに聖域化され、「天ノ川」という河川名が生まれたといわれています。
天川村は自然と歴史にかたち作られ、今もその歴史を刻んでいます。