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村の基本情報
峻山名峯の連なる山岳、清らかな河川、深い渓谷など、美しい大自然に恵まれた天川村は、その4分の1が吉野熊野国立公園に指定されています。なかでも「近畿の屋根」と称される大峯山脈は、近畿最高峰の八経ヶ岳(1,915m)を擁し、日本百名山のひとつにもあげられています。この山脈から流れ出す清流により、天川村は「水の郷百選(国土庁)」に選ばれるとともに、洞川湧水群「名水百選(環境庁)」に選ばれています。ゆったりとくつろげる温泉や森林の四季の彩りも、多くの人びとの賞賛するところとなっています。
天川村はまた、歴史の宝庫です。役の行者を開祖とする修験道や、皇室をはじめとするわが国の政(まつりごと)の中心人物たちと深いかかわりをもちつづけてきました。秘められたその歴史を、絵巻物語にして天川村総合案内所前にも展示していますので、ぜひご覧ください。
村民憲章
天の国
誰もが満天に輝く星のように
- 一人ひとりが光り輝き、互いの人権を確かめ、共に生きるあたたかい村にしましょう。
- ふれあい、支えあい、楽しみあえる福祉の村にしましょう。
木の国
誰もが天と地の恵みで育つように
- 郷土の歴史から古きを学び、新しい文化を創造する村にしましょう。
- 共に学び語りあう、生涯学習の村にしましょう。
川の国
誰もが清らかで力強さのある流れのように
- スポーツに汗を流し、働く厳しさの中にも明日への希望と喜びを感じる村にしましょう。
- 自然と共に生き、豊かで活気みなぎる村にしましょう。
村のおいたち
天川村は高い山と深い谷によって形成されており、冬季はきわめて寒冷であるため、古くは人びとが定住するにはいたらなかったようです。本村には原始遺跡はほとんど発見されておらず、耕地に適した地形が少ないことが、先住者を妨げたことが容易に推察されます。また、高天原に所以するとされる「天の川」という名称が、この地方の河谷に名づけられたという伝承があり、この地域が定住することがはばかられた一種の聖域だったとも考えられます。そして、このことが修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、約1300年前に役の行者により大峰開山がなされて以来、人びとの定住を促すことになり、山岳修験道の根本道場として栄えてきました。そして、平安時代には、宇多天皇、菅原道真、藤原道長、白川法皇、西行法師などをはじめとする多くの貴顕や一般の人々が、熱心に大峯山への御岳詣を行いました。
また、大峯連山の一つの弥山に祠られた弥山大神の歴史もきわめて古く、天川神社の創建とその隆盛とともに聖域化され、これらに前後して「天ノ川」という河川名が生まれたと考えられます。地形的には、現在の阪本を分岐点として遠つ川(十津川)と天ノ川に分けられていました。本村は、大海人皇子と深いつながりがあり、皇子は、壬申の乱に勝利して即位した後、吉野総社として天河社の神殿を造営しています。また、天平5年(733)、光明皇后は、生母供養のための奈良興福寺西金堂建立にあたって、西金堂の荘厳具のひとつである華原磬の台石に、洞川地区から産出される白石(大理石)を用いたと伝えられます。その後、南北朝時代には、本村は南朝方の重要な拠点として後醍醐天皇、護良親王、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇などを擁護しつづけ、現在、十三通もの綸旨・令旨が残されています。本村は、天河弁財天社の信仰を核にして繁栄し、ことに南朝天皇による課役免除の綸旨による恩典もあって、経済的にも安定していました。
本村は、戦の必需品である弓竹の矢の産地としても知られ、南朝方、織田・豊臣両氏に矢竹を上納しました。江戸時代には、天川23ヶ村(和田、栃尾、九尾、坪内、日裏、中谷、沢原、河合、中越、沖金、小原、南角、五色、沢谷、北角、洞川、山西、籠山、庵住、塩野、滝尾、塩谷、広瀬)は天領とされ、年貢の他に矢竹を上納し、幕府の役人である代官によって統治されていました。幕末期には、天誅組挙兵による若干の余波がありましたが、天川郷は比較的平穏裡に明治維新を迎えました。そして、明治22年の「市制及び村制」の発布によって、旧天川郷・三名郷(吉野八荘の一つ天川荘が分かれたもの)の合体により天川村となり、以来、村政百年をへての歴史を刻んでいます。
村のあゆみ
1889 (明治22年) |
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1899 (明治32年) |
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1900 (明治33年) |
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1901 (明治34年) |
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1902 (明治35年) |
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1921 (大正10年) |
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1925 (大正14年) |
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1930 (昭和5年) |
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1935 (昭和10年) |
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1946 (昭和21年) |
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1948 (昭和23年) |
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1950 (昭和25年) |
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1952 (昭和27年) |
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1954 (昭和29年) |
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1958 (昭和33年) |
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1960 (昭和35年) |
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1961 (昭和36年) |
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1964 (昭和39年) |
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1965 (昭和40年) |
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1967 (昭和42年) |
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1968 (昭和43年) |
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1969 (昭和44年) |
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1970 (昭和45年) |
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1971 (昭和46年) |
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1972 (昭和47年) |
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1973 (昭和48年) |
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1974 (昭和49年) |
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1975 (昭和50年) |
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1976 (昭和51年) |
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1978 (昭和53年) |
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1980 (昭和55年) |
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1981 (昭和56年) |
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1982 (昭和57年) |
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1983 (昭和58年) |
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1984 (昭和59年) |
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1985 (昭和60年) |
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1986 (昭和61年) |
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1987 (昭和62年) |
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1989 (平成元年) |
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1990 (平成2年) |
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1991 (平成3年) |
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1992 (平成4年) |
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1993 (平成5年) |
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1994 (平成6年) |
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1995 (平成7年) |
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1996 (平成8年) |
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1997 (平成9年) |
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1998 (平成10年) |
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1999 (平成11年) |
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2000 (平成12年) |
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2001 (平成13年) |
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2002 (平成14年) |
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2004 (平成16年) |
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2006 (平成18年) |
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2008 (平成20年) |
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2009 (平成21年) |
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2011 (平成23年) |
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2014年 (平成26年) |
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2016年 (平成28年) |
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2019年 (平成31年) |
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2020年 (令和2年) |
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2021年 (令和3年) |
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2022年 (令和4年) |
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